ニートピア

誰に告げるでもなく、今日からここに日記の様なものをつけることにしました。題して「ニートピア」。ユートピアという文字を紙に印刷したら、インクが薄れてニートピアという風に見えた事があったので、その経験からこの日記の題名を思いつきました。まさしく偶然の産物。深い意味なんてないんです。英語にしたのはさらに意味はないんです。すみません。
 今の私の生活。きっと、傍から見ればひどく無気力なものに見えるのでしょう。特別、何かに対して情熱を傾けるという事もなく、ただ将来に対して漠然とした不安を抱えながら、草食動物の様に淡々と暮らしている毎日。まさしく、ナマケモノ
 そんな生活を日々送っている私を見て、この世から消えていった先人達は一体どう思うのでしょうか?「一生懸命働け」とか「恋をしろ」等といわゆる大人の説教をしてくれるのでしょうか?もしくは、宮崎駿みたいに「生きろ!」とかシンプルかつ唐突に言ってくれるのでしょうか?そのように僕に対して気を使ってくれているならまだ有難いのですが、死んでしまった人達はどうもそんな事は言っていないような気がするんです。だって、そんな事したら、死んでしまった自分を否定することになるでしょ。いわゆる説教って生きている人が使う言葉だからね。
 何でこんな事を気にするかというと、最近知人が二人ほど若くして亡くなりまして、「死」というものがそんなに自分と無関係なものとは思えなくなったからです。友人の死を知って可愛そうとかいう身振りをする人達に、自分も含め、なんか違和感を感じてしまうんです。
 死者という最大の他者とどう向き合っていけばいいのか。そして、生きるという事に対して積極的な意味を見出せないニートな僕はどの様な欲望を持ち、何を愛していけばいいのか。今これが、僕の向き合っている課題です。う〜ん、こんな意味のない禅問答に頭を悩ます僕って、本当にどうしようもない男だな。そりゃ、後ろ指差されるよ。けどね、僕はそういう無意味な事を考える時間や場所を肯定したいんです。名づけて「ニートピア」。それを現実的なものとして、不特定多数の人達に認識させること、それが今の僕の仕事なのではないかと、何となく感じている所であります。