春になっておもうこと

桜も散り、あたりもすっかり春になりました。
もう四月も中盤ですね。

ブログを更新しない間に、前回話題にした祖母があの世へ行ってしまいました。
享年79歳。
現代の老人としては少し早死にだったかもしれません。

二年位前でしょうか。
手術をした後に、麻酔で意識がもうろうとしている祖母が、病室の壁に花畑が見えたと言っていた事がありました。正夢という言葉があるけど、祖母はその時花が咲き始める春に自分の人生が終わるという事を、どこかで予感していたのかもしれません。
桜の樹の下には死体が埋まっている」というくだりが梶井基次郎の小説にあったけど、祖母の葬式以降「花」と「死」と言うのは正反対の様に見えて、意外と近しい関係にあるんだということが実感としてわかるようになりました。もっともそれが何故なのか、今の僕にはまだうまく説明出来ませんが・・・・

祖母が逝くちょっと前、何とか元気づけようと、家から昔の写真を引っ張り出して彼女に見せてあげた事がありました。そこには僕と同じ年位の頃の祖母と祖父が写っていて、まだ小さい僕の母が若い祖母に抱かれていて、なんとも幸せそうでした。けど、その幸福な風景も祖母がいなくなって二度とみれないものとなったようです。何もかもを変えてしまう時間って残酷過ぎます。けどだから感動するんでしょうね。

って僕は一体、何言ってるんだ。
あまりにも湿っぽすぎる。
春の挨拶を書くつもりだったのに、これじゃまるで下手な坊主の説教じゃないか。
今度はもっと浮いた話を書きたいと思います。