女優の写真

 栗山千明という女優を知っていますか。まるでアニメに出てきそうなはっきりとした顔立ちをしていて、あのタランティーノ監督の「キルビル」に日本の女子高生役(?)で出演していた女の子です。最近はテレビのCM等でもよく見かけますね。これ、自慢ですが、僕、その彼女に実際に会った事があるんです。

 僕は大学で写真部に所属しているのですが、その写真部にある雑誌を作っているサークルから、彼らたちの企画で女優の栗山千明にインタビューをする事になったから、その時の写真を撮影してほしいという依頼が来た事があるんです。その話を聞いた時、すでに5年生である僕は、先輩風吹かし後輩達を威圧し(というか後輩達に遠慮されていた?)その撮影権を半ば強引に奪い取りました。ハリウッドにも出演している様な女優に会うわけですから、撮影に行く前、僕はとってもハイテンションだったんです。が、実際彼女に会ってみると、「エッ!」という感じでした。というのも彼女、僕が想像していた以上にずっと普通だったんです。コンビニとかでバイトしていても全然おかしくない女の子とでも言えばいいんでしょうか。とにかく画面で観るのとは全く違った印象で、拍子抜けしちゃいました。でも、僕はその時デジタルカメラを使っていたのですが、その液晶画面で観る彼女は全然違いました。もうまさしく女優。文字通り全身からオーラがビンビン出ているんです。けど一旦カメラから目を離し、肉眼で彼女を見てみるとこれまた一般ピープルそのものなんです。とても不思議な体験でした。

 僕が考えるに、俳優とかアイドル等は、画面越しに見るから超越的な存在、つまり手に届かない存在なのではないでしょうか。空虚な自分という存在に耐えられない僕の様な弱い人間は、その様な雲の上の存在を夢見て、日々退屈な日常をやり過ごしているわけです。しかし、本当にそんなやり方で、僕は満足な生活を送る事が出来ているのでしょうか?最近それがとても疑問なんです。

 で、僕が何でこんな事で悩んでいるのかというと、実は今月、大学生活最後の写真部写真展がありまして、その際に、あの時そこそこうまく撮れた女優の写真を僕の作品の一部として出そうか出すまいか選びかねているからなんです。このブログをご覧になっている皆さんはきっと大学の写真部の写真展がどんなものか知らないでしょうが、本当に悲しくなる位にレベルが低いんです。だからその写真を、その場に出しても、全然恥ずかしくはないのですが、しかしその写真を出す事によって僕の中にある微かなアイデンティティーが吹き飛ばされてしまう気がするんです。だって、その写真の魅力は間違いなくそこに有名人が写っているからなんだもの。そこに、僕がこのブログで肯定しようとしている「ニートピア」は写っていません。あ〜でも目立ちたいな〜。みんなに一瞬だけでもあっと言われたいな〜。なんか自分からぬかるみにはまっていく気分。まだまだ修行は足りないようです。